歴史ツーリングレポート

出雲・奈良ツーリング PART3 博物館、熱田神宮、旅の終わりに氷川神社

〜出雲と奈良の神社・史跡を巡るドライブ〜

訪問日:2009年12月中旬  掲載日:2010年1月15日

奈良の黒塚遺跡、考古博物館、橿原神宮を巡り、熱田神宮、大宮の氷川神社を訪ねる
雪の蓼科から

翌週は一気に積雪してしまいました。

どうしようか迷ったのですが、纒向遺跡やヤマト王権のことを書こうというのに、奈良県の考古学の中心である橿原考古学研究所や、纒向遺跡発掘の発掘の成果を展示している桜井市埋蔵文化センターを訪れないのは如何なものか?

それに休日ETC千円だし、ということで12月15日土曜日の朝、奈良に向けて出発することにしました。

夜明けと共に出発しようと思っていたのですが、強い冬型の気圧配置の影響で名古屋市内まで雪とのこと。田舎ならともかく、雪の大都市通過なんて怖すぎるので、出発は少し遅らせることにしました。
朝9時スタート。この辺りは昼でも融けない圧雪なので、割と走り易いです。
茅野の街中まで降りてくると、雪はほとんど消えてしまいました。
諏訪ICから中央高速で西へ向かいます。土曜日ですが悪天候で空いているので、走るのは楽です。

路肩は完全凍結です。本線が普通に走れるのは塩カルのお陰です。あまり融雪剤の効果を過信しないようにしたいところ。
木曽山脈は雪雲の中。
恵那山トンネル前後で冬タイヤ装着のチェックをやっていました。
急に吹雪いてきました。雪の高速は多重衝突が怖いですね。トラックや集団から出来るだけ離れて走りました。
関ヶ原は大雪で通行止めになりそうな予感がしたので、遠回りですが東海環状自動車道で伊勢湾岸道に回ることにしました。

東海環状道は初めて通りましたが、快適な道ですね。
伊勢湾岸道で名古屋市内をパス。物凄い北風が吹いていました。
東名阪道を経由し、名阪国道で奈良盆地へ降りていきます。天理東ICで流出。時刻は14時です。冬道はやっぱり時間がかかります。
黒塚古墳、黒塚古墳展示館  
R169を南下して、やってきたのは黒塚古墳です。小さな看板しかありませんが国道沿いサークルKが目印となります。

グーグルマップ黒塚古墳
サークルKの裏に20台分位の無料駐車場があります。駐車場から古墳までは徒歩3,4分ほど。なおJR桜井線の柳本駅からも近いです。


黒塚古墳は全長130m、3世紀後半〜4世紀前半に築造された前方後円墳です。
1997年に大量の三角縁神獣鏡が発掘されて大きな話題となりました。

前方後円墳という形はヤマト王権〜大和朝廷の文化を代表する形です。
この形は3世紀後半までに近畿から吉備、北九州、関東などに広がっていきます。
4世紀末には会津にまで到達しています。

ていうか、神奈川県の秋葉山古墳群は巻向型と呼ばれる初期の前方後円墳ですが、築造時期は3世紀後半からとされています。巻向遺跡最初期に築造されたとされるホケノ山古墳が3世紀前半とされていますから、驚くべきことに大和と関東で古墳の成立時期にあまり差がないのです。

ヤマト王権の影響力の広がり、文化の伝播スピードの早さは驚くべきものがあります。
これはヤマト王権の強さもあるでしょうが、おそらく地方(の豪族)の側が鉄や先端文化を欲したという面もあるんじゃないかと思います。
古墳の上からは生駒山地や古い町並みを展望することが出きます。
古墳のすぐそばに天理市立黒塚古墳展示館が建っています。さほど大きな展示館ではありませんが、気に入りました。
館内には33枚の三角縁神獣鏡がずらりと展示されています。
景初三年(239年)の年号を記した鏡もあります。

中国の歴史書三国志の「魏志倭人伝」には、景初三年(239年)、倭の女王である卑弥呼が魏に朝貢し、銅鏡百枚を賜ったとの記述があります。年がぴったり。

発見時は、これが卑弥呼に送られた鏡か!と話題になりました。現在では国内鋳造説も強いようですが、年号の合致を考えると「卑弥呼の鏡」説に軍配をあげたくなります。
ところで何故中国の三国志が重要視されるかというと、この時代の日本には未だ文字で綴られた歴史書が無かったからなんですね。日本での本格的な歴史書?は712年の古事記、720年の日本書紀まで待たなければなりません。

さて、33枚は同じ絵柄ではなく、じっくり見ていくと個性的な絵が描かれているのに気づきます。この絵は霊獣です。
このユニークな方は、神仙(仙人)です。
巨神兵とか居るしw
3号鏡の銘文の翻訳が掲載されていたので記してみます。

「新しく錬金して鏡を作る。銅は徐州から出て、工人は洛陽から出る。文様を彫刻し、文章を作る。持つものは大いに吉ありて、子孫に恵まれる」

これらの鏡は、神仙と霊獣が織りなす世界が描かれた、ありがたい鏡だったのです。
桜井市埋蔵文化財センター  
R169を更に南下して桜井市埋蔵文化財センターにやってきました。ヤマト王権成立の地と言われる纒向遺跡発掘の中心となっている施設です。

グーグルマップ桜井市埋蔵文化センター
巻向遺跡をはじめ、桜井市の発掘の成果が展示されています。
吉備、出雲、北陸、東海、瀬戸などから搬入された土器です。ヤマト王権の成立にあたって各地の勢力が結集していたことが分かります。
搬入土器については東海系が半分を占めます。

恐らく東海にとってはヤマトが鉄器など大陸文化の輸入経路として重要だったのでしょうし、大和にとっては東国支配の拠点として東海が重要だったでしょう。こうしたお互いの思惑の一致がヤマト王権設立の原動力の一つになった気がします。
ガラス玉などの装身具です。千数百年も前のものとは思えません。
こんな鋳型で作っていたんですね。
大和神社(おおやまとじんじゃ)  
大和神社にも参拝してみました。崇神天皇の頃に創建されたと伝えられる古い神社で、平安時代には伊勢神宮に次ぐ隆盛を誇った事もあったそうですが、その後は衰退してしまったそうです。
本殿は三殿からなる特殊で荘厳な造り。由緒を感じさせますが、拝殿からだと三殿があまり見えないのが少し残念でした。
車中泊  
サラリーマン時代ならいざ知らずオフシーズンは半ば失業者の私ですので、宿に泊まる贅沢は出来ません。道の駅吉野路大淀iセンターで車中泊することにしました。雪が降ってきて少し寒かったです。

しかし今回は久々に車中泊しましたが、テント泊や宿泊の場合は翌朝には復活出来るんですけが、車中泊だと朝起きた時点で消耗してますね。

グーグルマップ道の駅大淀
橿原神宮  
早朝、橿原神宮を訪問してみることにしました。駐車場は500円と有料なので、隣接する奈良県立橿原公園の無料駐車場に車を置いて、公園散歩の途中に参拝してみることにしました。(駐車場の開放時間は9時〜5時ですが、この日は朝から開放されていました)

グーグルマップ橿原公苑
駐車場は県立橿原球場を挟んで橿原神宮の反対側、線路沿いにあります。野球大会中は駐車は遠慮したほうが良さそうです。
橿原神宮にやってきました。この地で初代天皇である神武天皇が即位されたとされています。
明治23年に創建、昭和15年に国家事業として拡張された大型の神社です。明治期に天皇の威光を改めて内外に示す目的で作られた神社と言ってよいでしょう。

この森は人工林ですが、元々あった森の復元を狙ったそうで、今では立派な常緑樹が生い茂っています。

外拝殿です。凄い荘厳です。

内拝殿です。朝廷の威光をヒシヒシと感じる、荘厳な建物です。
この奥に幣殿が、さらに奥に本殿があります。
奥の方に幣殿が見えます。その奥の本殿は京都御所の賢所を移築したもので重要文化財ですが、全く見えません。

なお建国記念日は右翼の街宣車が大集結するそうなので注意です。
藤原京  
朝早すぎて博物館が開いていなかったので、時間つぶしに藤原京跡にやってきました。隣接するJAに資料館がありました。跡地は草野球場になってました。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館  
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にやってきました。橿原考古学研究所の研究成果を元に展示がおこなわれています。日本で最もホットな考古学系博物館の一つと言っていいでしょう。

駐車場は無料。バイクも停めるところが一杯あります。また近鉄畝傍御陵前駅からもすぐ近くです。
セント君がお出迎え。初め変だと思ったデザインも、見慣れると可愛く見えてくるから不思議です。

グーグルマップ奈良県立梼原考古学研究所附属博物館(無料駐車場あり)
時代別に具体的で分り易い展示が行われています。目から鱗です。
縄文時代、既に遠隔地と盛んな交易が行われていたことを説明しているボード。
福岡の板付遺跡からスタートした国内稲作伝播の様子。
吉備で発達した特殊器台がヤマト王権の箸墓古墳でも出土しています。吉備の文化がヤマト王権に影響を与えていることがわかります。

分り易い説明、重文クラスを含むリアルな展示、素晴らしい博物館だと思います。皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょう。
名阪国道〜東名阪〜伊勢湾岸道  
名阪国道で帰路につくことにしました。強い寒気が流れ込んで一番標高が高い針IC付近は雪でした。夏タイヤのクルマやバイクも見かけましたが、これ以上雪が強く降ったら夏タイヤだとアウトというギリギリのコンディションでした。
やはり冬はこの辺りが移動のネックになりますね。
名古屋市内は青空が広がっていました。伊勢湾岸道の名港トリトンを渡ります。凄い季節風で、バイクだったら無理だったかも。

さて、名古屋といえば、草薙ノ剣を収蔵している熱田神宮があるところです。草薙ノ剣はスサノオが八岐の大蛇から取り出したと言われ、三種の神器になっています。出雲の剣が名古屋まで来ていたのですねー。

せっかくなので寄り道してみることにしました。

名港塩見ICを降りると、工業地帯は休日の為ガラ空き、割とスムーズに熱田神宮に到達することが出来ました。

グーグルマップ名港塩見IC
熱田神宮  
熱田神宮は初訪問です。駐車場の入口は名鉄神宮前駅の向かいにありました。意外にも駐車場は無料でした(混んでましたが)。
(なお初詣期間は駐車不可)
駐輪場は駐車場入口を入って真っ直ぐ進み左側、熱田神宮会館の向かいにありました。バイクで行き易い場所だと思います。

グーグルマップ熱田神宮内駐輪場
伊勢神宮に次ぐ格別尊いお宮(熱田神宮HPより)と言われるだけあって参拝客は多かったです。広大な神宮の杜もいい雰囲気です。歩いていると素敵で清々しい気持ちになります。いいなぁ、この杜。
樹齢千年以上のクスノキの大木が何本かあるそうです。


拝殿の前にやってきました。素晴らしくいい雰囲気ですね。 

熱田神宮の創建の由来は英雄ヤマトタケルのミコト(日本書紀では日本武尊)(古事記では倭建命)の東国征伐の話から始まります。

熱田神宮を創建した尾張氏は、ヤマト王権と密接な繋がりがあり、恐らく天皇家とも近かったと思われます。三種の神器の一つが熱田神宮にあることが、その事を裏付けていると思います。

本殿は平成の大造営を受けたばかりなのでピカピカ。伊勢神宮と同じ神明造りとのことで、伊勢神宮と似た雰囲気を感じます。荘厳で格調高く美しい、なによりカッコイイ建物だと思いました。
帰路  
再び伊勢湾岸道に乗って帰路につきました。路面が白いのは塩カルを撒いた跡です。

伊勢湾岸道は空いていたのですが、東名に合流してからは延々混んでいて流れが悪い状態でした。千円高速恐るべし。
途中、冨士川SAから富士山が見えました。
伊勢原からは延々渋滞。伊勢湾岸道塩見IC(名古屋)から東名川崎ICまで5時間程かかりました。疲れた。第二東名早く作って欲しい所です。
大宮 氷川神社  
翌週、旅の最後に大宮の氷川神社を訪れました。大宮駅から15分ということで、今回は歩きです。
大宮駅から東に歩くと、10分程で参道に突き当たりました。左折してさらに数分参道を歩くと氷川神社です。樹木生い茂る参道は、さいたま新都心付近から数キロ延々と続く長大なものです。グーグルマップ氷川神社参道

ちなみに、大宮とは「大いなる宮(氷川神社)がある地」という意味です。大宮って非常に由緒あるありがたい地名だと思います。
さすが武蔵の国一之宮です。関東でも(ていうか全国的に見ても)最も古い神社の一つだけあって、立派な樹叢に囲まれた境内は厳かでいい感じでした。

グーグルマップ氷川神社
主祭神はスサノオノミコト。この一帯は出雲族が開拓した地と言われています。古代出雲の影響力の大きさを示す神社と言えそうです。
氷川神社のヒカワは、出雲の斐伊川(ヒイカワ、古事記では肥川と表記)から来たと言われています。

この旅の最初に訪れた場所、スサノオが最初に降り立った出雲の奥地には、斐伊川が流れ、八岐の大蛇伝説が息づいていました。その川の名を冠し、スサノオを奉る神社が関東の地にあるのです。

歴史と時空の広がりを感じられて、とても感慨深かったです。

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さて、いかがだったでしょうか出雲と奈良を巡る神話と歴史の旅。

出雲にドライブやツーリングに行かれる方は多いと思いますが、知識がなければ訪問しても、ただ名所に行ったと言うだけで終わってしまいそうな気がします。ていうか今までの自分がそうでした。

出雲の国譲り神話に語られる出雲大社創建の由来、スサノオやオオクニヌシの心暖まる神話、などに思いを馳せながら訪れれば、より一層楽しめると思います。ただ出雲大社に行かれるなら出来れば平成25年の御修造後がいいと思います。それまで本殿は見れませんし。

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歴史マニアでもない素人が歴史を俯瞰するというのはシンドイ作業でしたが、日本と言う国家の成立に迫る事が出来た気がして、面白かったです。マニアの方から見ると説明にいろいろ不備があるでしょうが、初心者が興味を持ってまわってみたよという話ですのでご容赦頂ければと思います。

今回、とりあえず、出雲、吉備、東海などの勢力が加わり(あるいは配下となり)、ヤマト王権が成立した所までは追うことが出来ましたが、天孫降臨伝説から神武東征まで、つまり九州勢力の合流?部分が未着手です。(まあ、この部分は諸説入り乱れつつも定説らしきものが無く、つまりサッパリ判ってないのが実情ですが)。再来年位までには九州編レポも書いてみたいと思っております。長々とお読み頂きありがとうございました。

では次の旅でお会いしましょう!

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