ツーリングレポート

早春の天草、霧島、四国カルスト PART1

〜3月半ば、まだ春浅い天草・鹿児島・四国カルストを訪ねて〜

訪問日:2012年3月中旬  掲載日:2015年2月16日

プロローグ  

 

3月半ば、まだ、冬の眠りから覚めたばかりの四国カルストには誰も居ませんでした。
山並みが延々と続いていて、不思議な世界。

1日目 雪の蓼科から脱出  
3月中旬、道路の雪が融けたので、1時間ほど掛けて雪の中からVTR250を掘り出してみました。
道路の雪が融けた、といってもアスファルトが露出しているのはタイヤ一本分だけ、明日以降再び凍結路になってしまうのは確実です。通れる時に通って九州に行ってしまうことにしました。
目指すのは九州の天草。
諏訪インターから中央高速に乗りました。前方左側にはまだたっぷり冠雪した南アルプス。路面は塩カルで白い状態。3月中旬の信州は、まだまだ雪国です。
激寒の中央道と関ヶ原を使い捨てカイロ10個で切り抜けてw、23時22分神戸JCTに到達しました。ここで山陽自動車道と中国自動車道に分岐します。まだ寒い季節なので山陽道を選択。
2日目 九州・天草へ  
岡山郊外にある深夜の吉備SA。バイクが居ました。変態だ・・・。
午前3時半、小谷SAに到着、広島の手前です。ここにもバイクの人が居ました。変態でしょうか?
仮眠して7時頃再出発。8時頃尾道を通過。宮島が見えてきました。
10時頃、関門大橋を渡って九州入り。
13時に九州自動車道松橋ICを通過。料金はETC深夜割半額8400円でした。

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今回のルート((C)OpenStreetMap)

今回の目的
1)まだ未走行の天草を走る
2)晴れてる野間半島の撮影(失敗しました)
3)国道265の未走行区間を走る
4)高千穂観光(いつも素通りなので、今回は歩きで)
5)まだ冬から目覚めたばかりの四国カルストにチャレンジ
阿蘇や佐多岬など王道を外しているのでルート的には参考にならないかも。

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天草パールラインを進んでいきます。ほぼ伊豆に似た雰囲気。
天草五橋を渡って天草へ。風光明媚な橋ですが、天草の基幹道路だけに交通量は多目。街中は観光客と地元車が入り乱れて渋滞していました。夏の観光シーズンは伊豆と同じく大渋滞でしょう。
天草諸島の中心は上島と下島の2つの島。上島に入ってすぐ、2車線の山道を少し登った高台が千厳山です。駐車場から5分ほど歩くと岩山の頂上。そこから天草五橋を展望してみました。天草五橋を見渡すいい場所だと思います。
幹線道路はつまらないので、上島中央広域農道へ。これがまたビックリするほど立派で、交通量の無い道でした。山岳広域農道なのに、ひたすら橋で繋いでいきます。
16の橋で山を渡っていきます。ってどんだけ贅沢な広域農道なんだよw。天草といえば1966年の天草五橋から始まる橋梁建設のメッカですから、島に橋を掛ける仕事が少なくなって、山に橋を作ることにしたのでしょう。仕事を作る為に橋を作った感がありあり。
天草中心部。天草エリアの人口は最盛期の24万人から14万人程度まで減って過疎化が進みつつありますが、街中には全国チェーン店が揃って買い物に不便は無さそう。今はどこの都市も似ていますね。
海沿いは車が多いので、やはり山に上がって下島広域農道を走りました。上島中央広域農道より急峻で、なかなか面白い道でした。
この日は若宮公園でキャンプすることにしました。
3日目 天草から鹿児島へ  
翌朝の若宮公園キャンプ場。
西海岸を南下していきます。やはり西伊豆と似た感じ。
大江天主堂にやってきました。昭和8年建設。花壇が整備されていて優しい雰囲気。

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まあキリシタン布教は植民地主義と表裏一体だった面もあるので、一方的に賛美する訳にもいかないと思うのですが。天草を訪れる時は、やはり背景を色々調べてから行くと興味深いかと思います。
自分の様な初心者のとってはやはり司馬遼太郎の「街道を行く 島原・天草の諸道」あたりが、今はKindle版も出ていますので入手しやすく、読みやすくて、いいと思います。熱意有る文章は読んで面白いですし。

「日本史の中で松倉重政ほど忌むべき存在は少ない(中略)・・・領民として一揆に立ち上がるのが、当然であった。が、生存権を守るという段階はとっくに通り過ぎていて、最早はやくこの世を去るために結集するという絶望的なところに追い込まれていた。島原の乱の民衆蜂起の動員は、キリシタンの要素は二次的なものであったといっていい。
(司馬遼太郎:街道をゆく、島原・天草の諸道より引用)

1549年のフランシスコ・ザビエル来日により始まったキリシタンの布教は、1639年の島原の乱で終焉を迎えます。島原の乱についてはキリシタンの反乱という面よりも、過酷な統治が原因として、街道を行くでは激しくケチョンケチョンに領主を非難しており、興味深いです。
島原の乱以降、江戸幕府は鎖国体制に入り、大江や崎津は隠れキリシタンの里として信仰を繋いで行きます。そして明治維新後の外圧と共に復活、明治から昭和初期にかけ、来日した宣教師たちによって長崎や天草に教会が建立されていきます。

もっとも、この天主堂を建てたのはこの村の信者たちの醵金によるものではなく、ガルニエ神父自身である。
「この方は。昭和十五年、八十歳で亡くなるまで、四十八年間、一度もフランスに帰らず、こんな山の中にいつづけたのです。同じ服を十七年も着ていましたし、食べるものというのは、薩摩芋とネギだけでした」
起工されたのは、昭和七年だった。走行日二万五千円のうち、二万円をこのパーテルさんが出した。明治二十五年以来、粗衣粗食して貯めた金であった。この間、孤児院を作ったり、困窮者には宗旨の如何にかかわらず金を与えているから、これだけの額にまで貯めるには、みずからを搾り尽くすような暮らしをせざるを得なかったであろう。
(司馬遼太郎:街道をゆく、島原・天草の諸道より、大江天主堂についての文から引用)

スミマセン、脱線しました。

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崎津天主堂、1959年〜。現在の協会は昭和10年竣工。
天草内をその後もいろいろ探索したのですが、悪天候もあってパッとした成果は得られず。天草はやっぱりバイクで走るというよりは、歴史と風土を楽しむところのようです。
南端の牛深にやってきました。小さな港街をバイパスする牛深ハイヤ大橋が印象的です。橋の全貌は魚眼レンズでないと写せないほど巨大で・・・どんだけ無駄遣い。
ここから鹿児島へフェリーで渡ります。
蒲生の日本一の大楠。2泊目は蒲生の住吉池公園にキャンプを張りました。
翌日は雨で昼過ぎまで停滞。午後になって鹿児島から指宿スカイラインで南下。もう桜の季節でした。鹿児島は早いですね。
野間半島一周ルートへ。以前通った時と較べても改良されて、快走路化が進んでいました。
野間岬へ。本土一番の最果ての地と言っていいでしょう!なかなか来れない地なので曇天が残念でした。
野間半島周回中、笠沙宮跡の看板を見つけて急ブレーキ。
「天津日高日子番能邇邇藝能命、於笠紗御前、遇麗美人。爾問「誰女。」答白之「大山津見~之女、名~阿多都比賣此~名以音亦名謂木花之佐久夜毘賣。」(古事記より)
てな感じで、ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメと出会った伝説の地である笠沙がこんな最果ての地に!とちょっと感動。

(古代史において、大和朝廷が南九州勢力の影響を受けていることを示唆する一例という意味で興味深い。)
(笠沙宮とされる場所は他にもいろいろあります。)
4日目  
3泊目はかいもん山麓ふれあいキャンプ場に投宿しました。ここでキャンプするのは3回目。通年営業の貴重なキャンプ場です(但し火曜定休)。この時季ほとんどのキャンプ場は冬季休業中なので、利用するキャンプ場も同じところになってしまいます。
池田湖から開聞岳。
指宿スカイラインで北上していきます。
高速で少しワープして霧島へ。

硫黄岳から韓国岳。
噴火の影響で度々炎上したという霧島神宮の古宮跡と、現在の社殿を参拝しました。今の社殿は鮮やかで賑やかな装飾が南国の神社らしいです。
実は今回の目的の一つは「ひむか神話街道」未走破区間を辿ること。ということでスタート地点の皇子原公園辺りを走りました。これで分割しながらですが、ほぼ全線カバー。

ひむか神話街道は霧島から高千穂に至る長い長い道です。いつか、通しで走ってみたいです。
鹿児島から宮崎に入って北上して行きます。平野部は退屈なので、例によって大規模林道宇目須木線、須木区間等を通り・・・
いや、相変わらずこの道はスゲー。
日本トップクラスの酷道が国道265号線です。こちらの未走破区間を走るのも、今回の目的の一つ。須木から西米良まで走りましたが、信州のR152を遥かに上回るクネクネ狭路酷道、走れど走れど尽きない山道。凄かったです。
1/3程走ったところで日が暮れたので、宮崎県の恐らく最も山奥の村、西米良村の双子キャンプ場に投宿しました。ここも珍しい通年営業キャンプ場です。受付は隣接する日帰り温泉にて。温泉で暖まってのんびり。
5日目  
翌日は宮崎県内を更に北上して、高千穂へ。
高千穂では高千穂神社や天岩戸神社を参拝しました。高千穂峡の遊歩道がいい感じでした。但し3月のオフシーズンの雨なのに人が多目。オンシーズンはかなり混んでそうです。

今まで高千穂を何度も素通りしていたのは、周囲に良い道が一杯ありすぎて走るほうが忙しかったwというのもあるのですが、混雑しているのも一因でした。もしオンシーズンに訪れるなら時間帯等を工夫する必要がありそうです。
臼杵からフェリーで四国に渡り、大洲のネットカフェで一泊しました。
(現在大洲に夜間営業のネットカフェはありません)
PART2は四国カルストです。
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