歴史ツーリングレポート

出雲・奈良ツーリング PART1 出雲編

〜出雲と奈良の神社・史跡を巡るドライブ〜

訪問日:2009年12月中旬  掲載日:2009年12月27日

出雲へ
諏訪IC〜中央道〜名神〜中国道〜東城IC〜R314おろちループ
降雪凍結の恐れがあるということと、宿泊代を浮かすためということもあって、今回の旅の相棒はアルトです。
金曜夜諏訪ICを発ち、休日ETC千円を利用して中央高速、名神、中国道とひた走りました。(このルート上に料金所は無いので金曜日に入って土曜日に出れば休日千円になります)
明日のことも考え、兵庫県に入って加西PAで就寝。お休みなさいzzz。
朝7時起床、再び中国道をひた走ります。吹田JCTから150km走って、やっと岡山。中国道は長いです。
中国道も岡山から広島にかけての山間部は急カーブが続き車も少なくなります。新品の冬タイヤなのでゆっくり走ってもかなりのストレス(減るのが勿体無くてw)。夏タイヤか、バイクで走ったら気持ちよく走れそうです。
出雲へのアプローチというと米子道経由が常道だと思いますが、今回はスサノオの足跡を辿りたいと思い、東城ICで下車してみました。
まずはR314で奥出雲おろちループを目指します。
東城付近のR314は普通の幹線国道でしたが、ループの前後は適度な田舎道となります。マアマア良好なツーリングルートではないかと思います。
おろちループです。二重ループですが、大き過ぎて全貌を一望することが出来ないのがいまいちかな。
スサノオが舞い降りた船通山  
横田町にやってきました。意外に開けた土地で穏やかな水田地帯が広がっていました。
初期の稲作は、この場所のような山から水を引ける「山の辺」、つまり山の裾野近くに開かれる事が多かったと思います。何故なら、弥生時代の最初の頃は低湿地を開拓したり、灌漑する技術を持たなかったと思われるからです。
須佐之男命(すさのおのみこと)は、大空から追いおろされて、出雲(いずも)の国の、肥(ひ)の河(かわ)の河上(かわかみ)の、鳥髪(とりかみ)というところへおくだりになりました。 すると、その河(かわ)の中にはしが流れて来ました。命(みこと)は、それをご覧(らん)になって、「では、この河の上の方には人が住んでいるな」とお察しになり、さっそくそちらの方へ向かって探(さが)し探しおいでになりました。
そうすると、あるおじいさんとおばあさんとが、まん中に一人の娘(むすめ)をすわらせて三人でおんおん泣(な)いておりました。 

命は、おまえたちは何者かとおたずねになりました。 

おじいさんは、「私は、この国の大山津見(おおやまつみ)と申します神の子で、足名椎(あしなずち)と申します者でございます。妻の名は手名椎(てなずち)、この娘の名は櫛名田媛(くしなだひめ)と申します」とお答えいたしました。 

命は、「それで三人ともどうして泣いているのか」と、かさねてお聞きになりました。 

おじいさんは涙をふいて、「私たち二人には、もとは八人の娘(むすめ)がおりましたのでございますが、その娘たちを、八俣(やまた)の大蛇(おろち)と申します怖(おそ)ろしい大じゃが、毎年出てきて、一人ずつ食べて行ってしまいまして、とうとうこの子一人だけになりました。そういうこの子も、今にその大じゃが食べにまいりますのでございます」(青空文庫 古事記物語より引用)

高天が原を追放されたスサノオはこの船通山に降り立ちます。そして娘を囲んで泣いている老夫婦から、毎年大蛇がやって来て娘が食べられてしまうという話を聞いたスサノヲは、ヤマタノオロチを退治するのです。そのヤマタノオロチから出てきたのが三種の神器の一つ、草薙ノ剣とされています。

グーグルマップ船通山

奥出雲はたたら製鉄の里でもあります。昔、船通山から宍道湖へ注ぐ斐伊川(ひいかわ)は精錬により、まるで蛇の腹のように真っ赤だったといいます。

ヤマタノオロチ伝説は出雲勢力が製鉄を支配していたことを意味するのかもしれません。
須我神社 ☆  
大仁広域農道を通り北上することにしました。結構な山岳路でバイクで通ったら気持ちよさそうでしたが、スタッドレスタイヤが減るのが心配で気疲れしてヘトヘト。
 命はそれから、櫛名田媛(くしなだひめ)とお二人で、そのまま出雲(いずも)の国にお住まいになるおつもりで、御殿(ごてん)をおたてになるところを、そちこちと、探(さが)してお歩きになりました。そして、しまいに、須加(すが)というところまでおいでになると、「ああ、ここへ来たら、心持がせいせいしてきた。これはよいところだ」とおっしゃって、そこへ御殿をおたてになりました。(青空文庫 古事記物語より)
ヤマタノオロチを退治したスサノオは襲われそうになっていた姫、クシナダヒメを娶り、この地に宮を造って住んだそうです。
それが日本初之宮と言われる須我神社です。

グーグルマップ須我神社

日本で始めてのお宮は、意外にもこじんまりしたものでした。
土曜日に参拝客が自分以外に一人しか居なかったのが不思議でした。
旅のテーマとして非常に興味深い神話だと思うのですが・・・
須佐之男は元々出雲土着の神様として信仰されていたようです。古事記ではそれをアマテラスの弟に位置づけ、高天が原から追放されて出雲に降り立ったというストーリーを描いています。各地で信仰されている出雲系の神様を大和朝廷が取り込んで勢力拡大を容易にする意図があったものと思われます。
熊野大社 ☆  
須我神社から中海に向けてスサノオゆかりの神社が続きます。スサノオ街道と名のついた県道53号(1.2車線部分が多い狭路)を北上して、神社巡りをしてみることにしました。

まず訪れたのは熊野大社です。

グーグルマップ熊野大社

祭神はスサノオ。出雲大社より古いとも言われる神社です。

まあスサノオは出雲大社のオオクニヌシの祖神(父とも孫とも)ですからね。


鑽火祭という儀式では、出雲大社の宮司が火を起こすための燧臼と燧杵を受け取りに熊野大社を訪れ、その際、出雲大社が納める餅の出来栄えについて小言を言われるという変わった神事があるそうです。スサノオから試練を与えられ続けるオオクニヌシの姿を反映している?ようにも思えます。

深い森にかこまれた、なかなか荘厳な宮でした。出雲エリアでは出雲大社と並んで、訪れておきたい神社だと思います。

神魂神社
さらに北上して神魂神社(かもすじんじゃ)を訪問してみました。

大社造りの本殿は国宝。主祭神は高天ガ原から出雲に使者として使わされたものの、結局オオクニヌシの家来になってしまったという天穂日命(アメノホヒ)。出雲大社を祭る出雲国造家の祖先と言われる神様です。
八重垣神社 ☆  
スサノオとクシナダヒメの夫婦を主祭神とするのが八重垣神社です。縁結びの神様として有名で若い女性が沢山いらっしゃいました。

しかしここまで女性に人気があるとは・・・。

グーグルマップ八重垣神社
社殿の奥の森が素敵でした。スサノオがヤマタノオロチと戦う時にクシナダヒメを隠した森と言われています。
拝殿の奥にあるのが本殿です。女性の参拝者が多いだけに、とても優美な造りの神社でした。
加茂岩倉遺跡
松江から山陰自動車道に乗って西へ向かい、宍道ICで降りて加茂岩倉遺跡を訪れてみました。
多数の銅鐸が発掘され、世間を驚かせた遺跡です。

無料の駐車場から遊歩道を10分ほど歩くと、切り開かれた山の斜面が見えてきました。(歩きたい人向きの場所です)
広域農道工事をしているときに、銅鐸がゴロゴロと出てきたそうです。工事していた方はさぞビックリしたことでしょう。
小さな博物館が整備されています。展示品は残念ながらレプリカ。国宝指定されている本物は出雲大社横の県立博物館に展示されています。

グーグルマップ加茂岩倉遺跡
土曜日の車中泊  
冬の旅は行動可能時間が短いです。出雲に移動した段階で日が暮れたので、多岐のあたりの海岸線に車を停め、車中泊することにしました。しかし冬の日本海は荒れていますね。
須佐神社  
早朝、須佐神社を訪れてみました。スサノオが晩年に過ごした場所と言われています。

グーグルマップ須佐神社
日御碕  
日御碕神社にも行ってみました。スサノオとアマテラスを祀ります。

グーグルマップ日御碕神社
現在の本殿は徳川家光公の命により造営された権現造りのもので、豪華です。大社造りの他の神社とは雰囲気が違いますね。
日御碕灯台。明治36年初点灯、石積みとしては東洋一の高さを誇ります。この高さを実現するため、石積みとレンガの二重構造になっています。壁の一部がくり抜かれて構造を見れるようになっています。
入場料を払うと上に登る事が出来ます。日本海の眺めがいいですし、巨大なレンズが望めたり出来ますし、結構面白いです。
出雲大社 ☆☆☆  
さて、いよいよ出雲訪問のメインイベント、出雲大社の訪問です。
いつもなら西側にある出雲大社の無料大駐車場に停めるのですが、今回は東側にある島根県立古代出雲歴史博物館を訪ねてみたかったので、そこの無料駐車場に停めてみました。出雲大社へは徒歩数分ほど。
大木に囲まれた参道を歩いていきます。今まで訪問した神社とはやはり雰囲気が違います。訪問するのは4回目位ですが、やはり魅力的な場所です。

しかし残念ながら、国宝の本殿は大修造中で見ることは出来ませんでした。
平成25年春に遷宮祭をとりおこなうとのことです。
平成十五年にご訪問された皇后陛下の歌が紹介されていました。

国譲り祀られましし大神の
奇しき御業を偲びて止まず

出雲大社というのは国譲りの代償、ないしはオオクニヌシの祟封じの目的で大和朝廷が創建した神社だとされています。
古代出雲大社は現在の倍以上の巨大なものだったと伝えられています。もちろん以前は、木造でそんな巨大な建造物が建てられるわけが無いといわれていたのですが、
2000年に巨大な柱が発掘され、古代の巨大神殿が現実味を帯びてきました。

柱は隣の「島根県立出雲歴史博物館」に展示されています。
島根県立古代出雲歴史博物館  
というわけで、島根県立古代出雲歴史博物館にやってきました。一昨年位に新設された博物館で、荒神谷遺跡で発掘された358本もの国宝の銅矛と、加茂岩倉遺跡で発掘されたやはり国宝の銅鐸を展示しているというのがウリです。実はかなり期待していたのですが・・・

グーグルマップ
上の古代出雲神殿の柱意外は全て撮影禁止なので、写真はありません。
それにしても・・・豪華すぎ。なんかテーマパークみたいでイマイチ自分の琴線に触れませんでした。暗めの室内のなかで展示品がスポットライトで浮かび上がるといった照明方法がデパートの宝飾品売り場みたいで、展示品のリアリティを減じていたような気がします。まあその方が観光客受けはいいかもしれませんが・・・。(とはいえ出雲を訪れたら一度は訪問せざるを得ない博物館だとは思います。島根県は国宝クラスのものをココに集めていますので)
出雲ロマン街道〜西谷墳丘墓群〜荒神谷遺跡  
出雲の南側の山沿いに広域農道があって、出雲ロマン街道と呼ばれ、遺跡が点在しています。そこそこツーリング向きの道だと思います。
加茂岩倉遺跡は昨夕訪問済みですので、西谷墳丘墓と荒神谷遺跡を訪ねてみました。
西谷墳丘墓群です。年代は2世紀〜5世紀頃だそうです。宮内庁管理の古墳と違って、上にも登れます。古墳ファン向きの場所だと思います。
荒神谷遺跡です。358本もの銅剣が発掘されて世間を驚愕させた遺跡です。
周囲は広大な公園になっていて、建物が立派な博物館もあります。
駐車場から発掘現場までは徒歩7分程。特に考古学、歴史好きの人向きの場所だと思います。

グーグルマップ荒神谷遺跡
松江〜島根半島〜美保関  
せっかく島根に来たので、宍道湖を眺めに松江市にやってきました。宍道湖の東岸、松江市街に入る少し手前、国道9号線沿いに数台分の駐車スペースがあります。
姫が島です。観光パンフなどでよく見かけますね。
松江城などは駐車場代が惜しかったのでスルーです。

グーグルマップ
県道37号線で島根半島東部を日本海沿いに走ってみることにしました。
何箇所か狭路部分がありましたが、交通量も少なく、景色も綺麗で、まあまあ良いツーリングルートだと思いました。バイクで走ってみたかったな。

グーグルマップ
境水道大橋です。大型船が通過するための構造ですが、面白い姿の橋だと思います。

グーグルマップ
絵になる橋ですね。実際走ってみると、見た目ほど高度感を感じることもなく、意外に普通ですが。
美保神社  
美保関にあるのが美保神社です。
本殿が二つ横に並ぶ美保造という独特の構造になっていて、興味深い神社だと思いました。また背後の鎮守の森が素敵でした。

グーグルマップ美保神社
米子道〜中国道  
ETC休日割引を使って米子道と中国道を東に向かい、SAで二回目の車中泊をしました。月曜日は奈良を見学する予定です。
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PART2 奈良編

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